ヴァイオリニストアニキのつぶやき

大阪のヴァイオリン弾き木村の日常と出来事を綴っております

この笑顔がもう見れない

RIP

イギリスの指揮者Sir Andrew Davisが亡くなった。

 

彼は長い間トロント交響楽団音楽監督を務めておられたが、私が入った時は、桂冠指揮者として、年に2、3回トロントに来られるだけだった。

 

私は彼が大好きだった。本当に本当に彼の音楽作りが大好きだった。

 

音楽監督を務めておられた時の方達に比べたら、私と彼の音楽的な付き合いなど比べものにならないほど浅いのだが、私は彼から本当に本当に多くのものを学んだし、とにかく彼の音楽が好きだった。

 

我々オーケストラ奏者って、舞台の上で指揮者と魂を共鳴し合うものだと私は思っていて、その魂がもちろん誰とでも共鳴するわけではなく、人それぞれ共鳴する相手も違えば共鳴する曲目も違う。私は彼の音楽にいつもいつも共鳴していた。

 

今日本のは住んでいるが、トロント交響楽団には6月まで籍があるので、いつもメール等はまだ受け取っていて、それでも私はほとんどそのメールを開けないのだけれど、昨日は事務局に少し話に行った後、なんとなくトロント交響楽団の理事長からのメールを、ほんとになんとなく開けて、彼が亡くなったことを知り、ショックで倒れそうになってしまった。

 

自分でも自分がここまでショックを受けてることにもショックだったりしたのだけど、トロントを離れて、彼の音楽に触れることがなくなった分、いつも私の中にはあの明るい笑顔と素敵な音楽だけが残っていて、いつかはくるであろう別れというものを全く予想だにしていなかった。多分トロント交響楽団のみんなは、具合が悪そうだというのは気づいていただろうし、みんなも心配していたのだと同僚たちは言っていた。

 

思わず叫んでしまうぐらいショックだった。歩く足取りも足枷をつけたみたいに重く感じたし、すぐに同僚にメッセージを送って、知らなかった、具合が悪かったのか?って聞いたら、今私たちもショックでショックで、悲しみに明け暮れてると。

 

彼は、リハーサルの最中に、ここっていうところは、かなり神経質にリハーサルをして、できなければ厳しい顔で厳しい言葉も飛んでくる。でもその10秒後に、絶対にへへへっていう笑顔で、冗談っぽくそれを取り消したり、とにかくオケに対する気持ちが優しい。

 

素晴らしいオルガン奏者、もしくはチェンバロ奏者でもあり、作曲家でもあり、チェンバロを聞いた時には感動したものだ。

 

決して派手なことはしない、昔の正統派の指揮者だけれど音楽が温かく、美しく、私は彼の来る週をそれはそれはいつも心待ちにしていた。

 

指揮者に対する想いって恋心みたいなもんだなって昨日ふと思った。トロントの同僚の誰かが、その指揮者のことが好きかどうかなんて、その指揮者と寝れる稼働かって考えたらわかるよねと、過激なことを言うなあとその時は思ってたけど、実際そうなのだ。私たちはその人の音楽に恋していて、その人の魂と共鳴していて、それが深ければ深いほど、すごい音楽ができてしまうのだ。私は確かに彼の音楽に恋焦がれていた。だから彼がこの世をさってしまったことが思いの外、自分に打撃を与えてしまった。

 

マーラーの9番で、お客さんも奏者も、曲が終わったのに身動きもできない、指揮者の手がおりても誰も拍手もできないくらいの本番があった。みんな舞台の上で茫然自失、気がつけば涙が頬を伝っていた、そんな演奏会を経験した。一生にこんな演奏会は数えるほどもないだろう。あの時の感動は今でも深く深く私の心に刻まれている。

 

ふと向かい側を見れば、チェロの首席が涙を流していた。私も知らない間に泣いていた。私はリハーサルの時にすでにすごく不思議な体験をして涙が止まらなくなった経緯があったので、演奏後は感動の方が大きかったのだけど、周りを見ると、みんなそっと涙を拭っていた。

 

そこから、私の中でどうしてもどうしても弾いてて苦しくなるマーラーのシンフォニー達が、やっと美しいと思えるようになった。彼の音楽が、マーラーの中の呪縛を解いたと言うか、私はそれを敏感に感じ取ってしまって、リハーサル中に弾きながら号泣すると言う経験をしたのだけれど、彼を通して、と言うか、彼がマーラーに話しかけたのかもしれない。もういいよ。手放して。苦しまなくていいんだよ。と。。。

 

私にとってマーラーは希望を探して探して、最後はどうしても希望を見つけたんだと言うフェイクの希望で書かれたシンフォニーで、辛くて辛くて、どうしても私の触れてほしくない心のどこかに触れるので本当に苦しかった。けれど、彼と9番をやることで、マーラーはやっと、ここで自分の心や、自責の念や、たくさんのことを受け入れて自分を許したんだ、と感じて、私ももう苦しまなくていいと言われた気がして、あの9番はきっと一生かけてもあれ以上の経験はないだろうと思えるくらい私の音楽生命を大きく変えたものだった。

 

何をどう書いても陳腐にしか聞こえないけれど、音楽はその人の人生そのもので、その人の人間そのもので、彼が人生を賭けて作って来た音楽は、ずっと私たちの心に残るだろうし、またそこから彼と言う人間を懐かしく恋焦がれるのだろうと思う。けれど、もう彼の生の音楽に触れることがないのだと思うと、私はしばらく立ち直れないかもしれないと思うほど悲しくて寂しい。

 

私は人より感じやすい方なので、だから若い頃は楽曲分析や曲の背景を知るのが嫌だった。人の作ったものには必ずその時の念というか感情が残っている。私はどうしてもそれを感じてしまって時には苦しくて弾けなくなってしまうこともある。彼の音楽にかなり私は感情移入していたんだなあと。

 

遠い日本から、彼を想い、今日リハーサルでオケのみんながバッハを弾いたと聞いて、私は遠い日本から彼とトロントの仲間を想った。昨日は1人でバッハを彼のために弾いていた。

 

世界中の音楽家達に惜しまれている彼が、どんな音楽家だったのかがよくわかる。

 

私にとって音楽は、こうでなくちゃいけないと思う。人の心をうつもの。上手い下手じゃない。心をうつもの。彼はそれをたくさんの音楽家に教えてくれたのだと思う。

 

オーケストラの魅力も、彼のような指揮者から私はたくさん学んだ。

 

もう書いても書いても想いが溢れて来てどうしようもない。

 

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。天国で少し先に旅立たれた愛する奥様とまた再会して、素敵な音楽を奏でてください。

 

トロント交響楽団の追悼ビデオです。これみてまた号泣しちゃうんだよなああ。

 

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