ヴァイオリニストアニキのつぶやき

大阪のヴァイオリン弾き木村の日常と出来事を綴っております

人生の先輩の言葉

 

今日は元N響首席オーボエ奏者、そして今は指揮者として活躍されてる

茂木さんにご招待頂いて、センチュリーさんの

子供のためのコンサートにお邪魔してました。

子供に混じって本気で楽しんでました🤣

ラデツキー行進曲で手を叩く側になったのは

人生でお初でした🤣

 

昨日はその茂木さんにお茶しませんかとお誘いいただき

色々なお話をさせて頂いたり聞かせていただいたりして

頭のモヤモヤがだんだんと晴れてきました。

 

実はここ2ヶ月ほどスランプでした。

弾けないスランプというか人間スランプ😅

幸い、3月は仕事が少なくて

色々な事をしてました。

まあぐるぐる考えるのも一つですが

セラピストに会ってみたり

仏教やスピリチュアルの本を読み漁ったり。

 

昨日茂木さんと、本当にたくさんのお話をしました。

茂木さんの現役時代のお話や、ドイツのオケのお話

ありとあらゆる巨匠と呼ばれる指揮者の話

そして演奏者としての経験と指揮者としての両方の経験から

違った角度からの意見

演奏者だった故にわかってしまう

指揮者としてリハーサル中の

みんな早く帰りたいだろうながよくわかって

最初のうちは気になって

リハーサルができなかったとおっしゃった時は

思わず笑ってしまいましたが🤣

 

パワハラと厳しさの線引きが難しいことや

ベルリンでオーボエトップのトラで乗っておられた時の

伝統があるオーケストラなのに

伝統があって一流のオーケストラだこその

どんな人がトップできても

それにすんなり合わせられる技術と

それを楽しんでいる余裕と柔軟性

オーケストラとしてのプライド

ここの奏者としてのプライドというより

オケ奏者としてのプライドっていうんでしょうか。

 

そんな中で私が疑問に思う事をたくさん聞いていただきました。

その度に、私のいう事を否定せず

でも、必ず別の角度からの意見を下さるんです。

そうすると、ああそうか〜と納得できるんですね。

そうやってお話していると

肩の力がふっと抜ける。

 

私は実は本当にクソが100億個ぐらいつくほど

真面目なんです。

そして妙に完璧主義(完璧じゃないのに)

ものすごく自分に厳しいので

実は他人にも超厳しい(これ本当によくないとはわかってる)

自分が焦っていたりなんか妙に責任を背負おうとしていたり

そういうところが見えてきて

人生の先輩はやっぱりすごいなと。

音楽界の先輩でもあるけれど

それより人生の経験が豊かで

だから心が大きくて余裕がある。

 

確かに日本人は往々にして変化を好まない人種ではあると思うけど

私が1年やそこらで何かを変えたいって厚かましいですよね

というと

いや、1週間でも3日でも変えてやるって気持ちは

頭張ってる人間なら持ってなくちゃダメです

でも、うまく行かなくても

それを全て自分の責任だと思って焦ることはないし

3年経ってダメだったら他に移りゃいい

くらいの気持ちの余裕があった方がうまく行くよ

と、私の気持ちも否定せずに、やんわり

焦らなくていいよと伝えてくださる。

 

パワハラについて話していた時も

パワハラかもしれないけど、違う角度から見たらこうかもね

ああ、こういう意見を私は聞きたかったんだなあと。

だから相談しても相談しても

自分でなんか納得しない。

けれど自分の人生の経験や仕事上での経験の上で

お話をしていただくと、あああ、そうよねそうよねって思える。

 

茂木さんがN響に入られた経緯を聞くと

私がトロントを辞めたくなった最大の原因と(一つではないけど)

似たところがあって(立場は逆)

色々思い出してなんか

初めて私頑張ったよなあと自画自賛してみたり🤣

 

本当ににあっという間に3時間以上

お話をしていました。

やっぱり人生の先輩はすごいです。

10年の経験の違いって大きいな。

それはキャリアだけのことではなくて

人間の懐の深さというか。

もちそんそれは茂木さんの人間の深さでもあるんだけれど

でも、東洋人が音楽の世界で

外国で仕事していくって、しかもヨーロッパで

トップとしてやっていくって並大抵のことじゃなくて

だから本当に大変な想いもたくさんされたと思うんです

でも、それが全部人間の深さになってるというか

ああ、まだまだ全然わたしゃ未熟だわと。

あと10年で同じぐらい深い人間になれるのか🤣

不快な人間にはなれるかもな🤣

 

あとはね。

前も言ったけれど真如苑ていうのは

真言宗のお寺なんですよ。

でも決定的に違うのは

在家出家のためのお寺なので

そこに行ってるということで

修行僧ということになるんですな🤣

これまじで知らんかった🤣🤣🤣

私は修行僧だったのか🤣🤣🤣

 

なので、お経一つでも

私とかが読んではいけないお経とかもあるんです。

一番位が低いもんで🤣

まあそれはどうでもよくて←おい🤣

私の家は祖母がとても信仰心の厚い人だったので

日常普通にお経が聞こえてたり

神棚もきちんと祀ってあったし

小さい頃からなんかいろんな真言を知ってたりしたんですよ。

だから元々お坊さんの話を聞くのは

好きなんですね。

 

真如苑のお話の中に

人と向き合う時は

仏様と向き合ってると思って話しなさいと。

どんなに嫌な人でも苦手な人でも

仏様と対話してるつもりで向き合いなさいと。

なぜならその相手は仏様が見せてくださってる

化身?というか、私が乗り越えなきゃいけない課題だから

 

これがねぐさっと心に刺さったんですよ。

正直無理です。

でもね。

相手はあなたの鏡なんですよ。

仏と思って対話すると仏様が返ってくるけれど

自分の感情やその他諸々をぶつけると

鏡ですから全て自分に返ってくる。

みんな仏心も持ってるし黒い心も持ってる

どっちを鏡に映すかってことですよね。

出家した人間として正しい事をしろと。

 

この話がずっとずっと頭に残っててですね。

それでも私自信ないです。

できないと思う(出家してるという自覚もないし🤣)

でもね、この言葉を胸に秘めておくことと秘めておかないのじゃ

やっぱり違うと思う。

 

元々外人気質で、25年外国に住んでさらに外人になってるのに

日本のいろんなことわかって帰ってきたつもりだったけど

行き詰まっちゃって。

 

仏様と思って対話しても

仏様はかえってこないかもしれない

でも、そこで私がそれに対して責任を感じることはない

責任を感じるから怒りを感じるんですね。

そのことで和が乱れる=色々支障が出る

それに対して責任を感じるから怒りを覚える

そう、私の責任ではないんです。

 

そして物事何事も言い方一つ。

それも茂木さんとお話ししてて話題の一つに登りました。

 

なんかね。

もうありがたかったです。

私は本当に人に恵まれてる。

他人がどんな事を言おうが

お友達に導かれて真如苑でいいお話が聞けることは

自分にとっていいことでしかないわけで。

宗教とひとくくりにしてしまうと

とても苦手だけれど

信仰心って結局は

人の話を聞いて自分を振り返ることができるかどうか

そういうことだと思うし

そういう意味では

茂木さんとの3時間も

お坊さんに匹敵する3時間でした。

 

なんかまたすごい長いけど。

私は3月に季節鬱になる傾向があって

それもあるのでしょうが

とにかく色々と考える時間があってよかったな。

もうすぐお天気も良くなるだろうし

茂木さんとのお話と

お坊さんのお話をしっかり心に留めて

精進いたしまする。

 

なんかめっちゃ長いのに取り留めないな。

あ、いつものことか🤣