ヴァイオリニストアニキのつぶやき

大阪のヴァイオリン弾き木村の日常と出来事を綴っております

信仰を持つと言うこと


変わらず真如苑にお参りしている私ですが

最近は少し考え方が変わってきました。

 

私は元々信仰心を持つことは素晴らしいこと

とは思っていたので

教会に行ってお話を聞くことも

お寺に行ってお坊さんのお話を聞くことも

昔天理の病院に入院してた時

天理教のお坊さん?のお話を聞くことも

全然苦にはなりません。

 

ただ宗教がなぜ嫌いかと言うと

宗教は人と人を争わせるものだから。

自分の信じているものだけが神で

それ以外はなんでもない。

そして自分の神だけが偉い。

 

それから、ここに入れば病気治ります

これ身につけたらいいです

そう言う宗教は確かにいっぱいあるし

それを新興宗教と呼ぶことも事実。

 

とある牧師さんが

プロテスタントキリスト教

新興宗教なのですよ、と。

どんな宗教でも唱えていることは同じ

人のために生き、感謝を忘れない、とも。

 

最近思うようになったんですね。

信仰を持つと言うことは

自分自身が強くなることなんだなと。

信仰を持つと、それは神様や仏様と

契約することになるんじゃないか

と、私は思うんです。

 

大好きな作家、曽野綾子さんはカトリックですが

神様は人間に神様になれとは思っておられない。

人間は、善意も悪意も持っているもの

神様はそんなことは百も承知

生きていく上でどうやってその悪意を

少しでも善意に変えて行けるか

その修行が宗教なんだ

みたいなことをおっしゃってました。

 

仏教も同じですよね。

人間は仏様にはなれません

でも仏様の真似をして

慈悲と感謝の心で毎日生きてゆく

 

信仰を持つと言うことは

その仏様や神様に

私はできる限り悪意を使わず

生きていきたいと思います

と言う契約をするんだなと。

 

人間だから信仰持ってたって悪意はありますよ。

でもその時にね

誰かに常に見られてる意識というか

見透かされてるというかね

それが信仰なんだと思うようになったんです。

 

それは真如苑でもプロテスタントでも

カトリックでも浄土真宗でも

イスラム教でもなんでもいいわけです。

けれど、本当に信仰をしている人は

自分の神が絶対だと言って

争いをしたりはしませんよね。

絶対の存在の神や仏が

そんなことを望んでるわけがない。

 

自分を信じなさいと布教することは

自分と心の契約を結び

正しく生きていくこと

 

真如苑ではよく利己でなく利他

という言葉が使われるんですが

キリスト教で言えば

あなたの隣人を愛せですかね。

自分に戒めを持つのが信仰

そう思うようになったんです。

 

だからと言ってわたしゃ

仏様のように生きてるかっていうと

全然違います。

不平不満、悪口、愚痴

言いますよ〜、毎日!

最大の悪は勝手に家族に相談もせず

日本に帰ると決めて

家族をすごく苦しめた

 

それだけでも

私はもしかしたら

地獄に落ちるかもしれません。

 

モーゼの十戒真如苑の五戒も

仏教の何戒か知りませんが

結局書いてあることは同じ。

 

そう考えると

“宗教”というものが

あまり苦にならなくなり

むしろ心の拠り所となっていくのが

自分でも感じられます。

宗教というよりは信仰ですね。

宗教と信仰は別な気がします。

宗教を悪用する人はたくさんいます。

でも本当の信仰は悪用できない気がします。

 

私は真如苑に行き始めてから

密教の本を読み漁りました。

真言宗の本、仏教の本

色々読んで

密教の修行がどれだけ大変かを知りました。

そして密教って、仏様や神様お一人お一人

その拝み方から供養の仕方まで

伝授されないとしてはいけないんだそうで

それを全て手に入れるには

膨大な時間がかかること

そして一度お祭りした仏様などを

拝まないと自分に必ず障りがあるので

一度拝み始めたらやめられない。

 

読み始めたら密教って面白くて

へええええええって思うことがいっぱいあって

父がたまたま真言宗のお寺の大僧正と

親しい間柄であったと言うがために

なぜか急に母が亡くなった時から

真言宗に寝返った😅ことやら

きっと私は真言宗に縁があったんだろうと。

 

どの宗教でもそうですが

勧誘が嫌だとみなさん言いますよね。

私も実は嫌です😅

でも、外国でもそうでしたけど

何か困っていたり悩んでいたら

教会に行かない?と誘われることが

よくありました。

 

救われたい=自分が変わりたい

そうすると人間って祈るようになるんですよね。

そしたら自然と信仰が身についてしまう。

祈るから始めたら生活も変わるんですよね。

まあ変わらない部分も大きいけど

気持ちの部分がね。

 

と書きながら

仏様の写真に足を向けてた私ですが😅

 

信仰を持つと

今度は必要な時に必要な言葉を

聞けるようになるような気がするんです。

他人の会話からだったり

お坊さんの話だったり

求めよ、そうすれば与えられる

という聖書の言葉と同じですね。

キリスト教を知らない頃は

そんな都合の良い話!って思ってました。

でも今はその意味がわかります。

本当に必要なものって

必要な時にちゃんと与えられてる気がします。

 

悟りを開いたお釈迦さまが最初にしたことは

布教活動。

結局布教活動だって

自分が変われたこの経験を

みんなに知ってもらいたいってことなんだけど

それも、取る人によっても

伝える人によっても意味が変わってくる。

 

私はもっと真言宗について知りたいと思うし

真如苑の歴史も知ってみたい。

でも、それには

やっぱり布教活動がついて回るんですよね。

私はそこにはまだ抵抗があって

というよりうまく説明できないし

 

よく何かの宗教で、病気が治ります

問題が解決します

って、勧誘する人多いけど

いや、実際自分は救われたかもしれないけど

その勧誘の仕方は間違ってるな😅

 

だから私は、時々こうやって

ブログに書いていこうかなと思います。

 

偉そうに書いてますが

私の煩悩は108つじゃ足りませんから🤣

でもだから信仰するのかなと思います。

 

何も知らずに敬遠するのはよくない。

だから私は勉強したいし知りたい。

それで最終的に納得できなければ

やめればいいだけ

でもね。

きっとやめないですね、私。

信仰を持つということが

なんとなくどういうことか

自分でわかってきたから

それは私が想像していた怪しい😅ものではなく

なんだろう。

もっと気持ちの良いものでした。

 

洗脳されてると言いたい人は

言えば良いと思います。

ですが、洗脳されるようなこと

真如苑一切しないですもん。

行ったら本当にお経読んで

お話聞いて、接心して終わり。

この接心は怖いくらい

その時考えてたり悩んでることを

言い当てられます。

それに対しては

結局自分が感謝の気持ちを持って

毎日生きていくこと

相手がある場合は、相手をどうこうではなく

それを通して自分の問題と向き合う。

そういう感じで

否応なしに自分を向き合わざるを得ない

そういう状況になるんです。

 

 

私の好きなホオポノポノと仏教って

なんか似てるんですよね。

全ては自分の記憶の再生

全ては自分の因縁すなわち業にある

キリスト教でいう原罪も同じような感じと

私は捉えています。

 

そんなわけで

私は時々ブログで布教活動するかもです🤣

心がしんどい時

信仰を持つことは全然悪いことじゃないと

私は思いますね。

ただし、苦しくなくなります

救われますという勧誘は避けてほしいなあ。

結局自分を救うのは宗教ではなく

自分ですから

その自分にたどり着けるのに

信仰があっても良いかなと最近思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

超一流

昨日はフェスティバルホールで、

ドミンゴさんのリサイタルツアーのコンサートでした。

 

オケ練習には来られないと聞いていたのに

オケ練習から来てくださり

御歳83歳。

本番まではもちろん声を出されないので

本番1曲目で、私はすでに涙目になっていました。

 

リハーサルの時も

自分のことだけではなく

例えば、オケの曲を聴いていて

私に、もう少しそのソロは出しても大丈夫だよ

と、アドバイスをくださったり

チェロとデュエットするところがあれば

チェロの横まで行って

一緒に歌ってくださったり

 

本番の声はもう痺れました。

83歳とは思えない。

舞台袖に引っ込むとき

ファーストバイオリンのアウトに座ってる人

一人一人と握手をして

中にはインの人が手を差し出して

自分から握手求めたりと

笑いを誘う場面があったり

 

私は、日本でまさかドミンゴさんと共演できるとは

夢にも思っていなかったので

もう昨日は幸せすぎて眠れませんでした。

 

超一流の人たちはやっぱり

だから超一流なんだなと思います。

音楽全てにおいて

全てをきちんと聴いて

その流れを汲んで

適切なアドバイスというか

臨機応変にどうとでも歌える

手を抜かない。

 

私のいう手を抜かないというのは

心を抜かないということです。

我々はお客様がいてナンボの世界ですから

お客様に対して

120%の姿で歌うその姿は

感激という言葉以外

本当に何も出てこない。

 

この音楽に触れているだけで

魂がとにかく幸せな気持ちになって

ああ、これが「本物」の人なんだなと

言葉では言い表せない

素晴らしい時間を共有させていただきました。

 

指揮者の方も素晴らしく

私は前世はジプシーって思ってるんですけど

ラテン系のノリも大好きで

そのノリの指揮者はたまらなく熱く

私の心にピタッとくるものでした。

ひたすら楽しく感激した2日間。

 

超一流の音楽に触れて

それを忘れないように

自分の中で消化させて

少しでも少しでも

いい音楽ができる音楽家になりたい。

いやあ、本当に素晴らしかったです。

 

 

 

ボーイング

今日は、なんとドミンゴさんの伴奏のお仕事。

リハーサルでした。

それは本番が終わってからまたゆっくりと書くとして。

リハーサルでよだれ🤤顔でうっとりしてたのは

言うまい🤣

 

その話ではなく。。。

 

なんか自慢話みたいになるんですが

決して自慢するつもりはなく

まあ、でも嬉しいなって話になるんですが

 

私は昔から自分の弓のテクニックが不満で

すごくコンプレックスがあったのですが

いや、今でも自分のbow technique が不満で

常にどこが悪いか考えて

いつも試行錯誤しておるのですよ。

 

それなのに、それとは裏腹に

いつの頃からか

いろんな人から私の弓使いが素晴らしいと

言われるようになり(自慢ではないのですよお😅)

ボーイングのことなら彼女に習えと言われたりして

自分では本当に訳がわからず

他の人のボーイングの方が

よっぽど綺麗なのに、なんで??

と、真面目に悩んでいたのですよ。

 

自分でビデオ見ても

肘の使い方も悪いし

これのどこがいいんだ?と真剣に思うのですよ。

 

そしたら、今日、ドミンゴさんと共演される

ソプラノ歌手について来られた

ご自身も声楽家だと言う方が

あなたの弓使いはまるでアートのようだ

見ていて鳥肌がたったっておっしゃいまして

私は『マジで』びっくり仰天‼️

 

ど、ど、どこがですか???

 

彼が言うには弓道の弓を放つ前のように

ピタっと楽器に吸い付いて、そして離れていくようで

まるで弧を描くようにあなたは弾くとおっしゃったんです。

 

実はトロント交響楽団のオーディションの前

オケスタなどを一度聴いていただいて

その教え方と弓使いの教え方に惚れてしまい

何回も弓使いのレッスンに通った先生のことを

思い出したんです。

もう亡くなっちゃったんですが。

大好きな先生でした。

 

彼はオスカー シュムスキーの弟子で

彼の弓のテクニックは

全てオスカーから伝授されたものだとおっしゃってました。

 

先生が教えてくださった

沢山のbow techniques の一つに

弓には形がある。

その形に沿って弾かなければならない。

と言うのがありました。

弓というのは、弓道の弓と反対で

真ん中が反っています。

その形に合わせて弾くのだと。

 

そうすると力をかけずに

音がサステインするのだと。

言葉で言うのは難しいのですが。

 

私はひたすら重力とお友達になって弾く

それだけを心がけてますが

多分、この先生に教わった

弓の形に沿って弾く

と言うのが、彼の言う弧を描くような弾き方なんだと思います。

 

そんな風に観察されてたのかと思うと

この人たちはただものじゃねえな

と思ったことと😅

自分がものすごくコンプレックスを持ってる

弓使いで褒められるのは

嬉しいような、なんか申し訳ないような😅

 

多分彼が言いたいのは

私がいつも弓で(体で)表現しようとしている

フレーズの長さなのかなあと思ったり。

なににせよ、それが人に伝わることは

すごく嬉しいことでした。

 

トロントの先生には

スピッカートの種類やら

その弾き分け方や練習の仕方

ピアニッシモの時の弓の返し方

そりゃあ細かくいろんなことを教わりました。

 

が。。。

 

全然できてません😅😅😅

 

今でも毎日毎日

弓の使い方に悩んでます。

持ち方も悩んでますし

音色の変え方から何から何まで

毎日毎日めっちゃ悩んでます🤣🤣🤣

 

でも、ま、悩まなくなったら

そこで終わりだなと思うので。

今日の褒め言葉はありがたく頂戴して

見た目だけ『は』美しい弓使いを

本当の美しい弓使いにできるよう 

今後も精進してゆきますわ🤣

 

しかしあの観察眼に私は驚いた😅

 

 

 

 

ほっこり

斜め向かいに、小さな子供ちゃんが二人いるお家があって

いつもすごく元気に挨拶をしてくれる

本当に可愛い子友達なんです。

 

私がベランダで洗濯物を干していると

下から大きな声で『こんにちは〜!!!』

って言ってくれるんです。

 

上が幼稚園の男の子、下は女の子

保育園に行ってるって言ってたかな。

 

昨日かな、幼稚園から帰ってきた子供ちゃんに

ばったり遭遇したら

また元気な声で挨拶してくれて

男の子が、嬉しそうにたんぽぽを一つ握っていて

私に、お母さんにあげるの

と教えてくれた。

 

ああああ。母の日だからお母さんにあげるんやね。

お母さんきっと嬉しいね(ってお母さんそこにいるんやけど😆)

って言ったらすごく嬉しそうに

お家に玄関まで走って行って

ハタと立ち止まり

家の横のプランターに植えてあった花を

ブチっと思い切りよくちぎって🤣

 

おばちゃん、ハイ!!って🤣

おばちゃん、嬉しかったけど

お母さんに怒られへんかとヒヤヒヤ。

 

そしたら、今度は下の子も真似して

ブチっと😅😅😅😅😅

 

おばちゃん嬉しいけど冷や汗💦

お母さんに目配せで、ごめんね、ごめんね

と謝っておきました。

怒られてないかなあ。

おばちゃんは心配です。

 

でも子供達の優しさに

すごくすごく心が温まった出来事でした。

お菓子でもあげなきゃね。

お手紙書いてあげよう。

 

 

 

宇宙のような空間

 

光の教会でコンサートでした。

 

広響首席チェロ奏者のマーティンとバッハを一曲ずつ

そして、カナダ人作曲家リアム リッツのデュオを。

 

光の教会はとっても不思議な空間なのです。

安藤忠雄さんのデザインで

まさに入った瞬間祈りの場所であるのが肌で感じられるのです。

空気が変わるんですよね。

 

ここで弾くと宇宙の真ん中で弾いてるような感覚が湧いて

一瞬足が地に着いてるか確かめちゃうくらい。

それくらい、こことは違う

時空の違うところと繋がっているのでしょう。

 

バロック弓を使ってバッハを弾き始め

やはり見よう見まねでは無理があるなと痛感。

レッスンしてもらおうと思いました。

 

あんなに苦手だったバッハが、今は大好き💕

けれど自分のものにするには

もっともっと何度も弾かないといけないなあと思います。

 

教会は、観光客で色々問題を抱えていて

今は公開はしていないのだそう。

あくまでもここは祈りの場であって

有名な建築家が建てた建物という気持ちだけで

ワイワイみにきて、時には建物にダメージを与えたり

そんなことが多々あったそうで。

大聖堂とは違って住宅街にある

小さな教会ですから

お寺でも教会でも

祈りの場であるということは

忘れないでいてほしいです。

そこを汚すことは絶対にあってはならないと思います。

 

牧師先生はとても面白い方で

密教のお話なんかも一緒にしてくださって

音楽以外でもお話が盛り上がっちゃいました。

 

ハイヤーセルフと繋がれる空間

そんな中で音楽を奏でられることは

自分と向き合う大事な時間だなと思います。

私の大好きなチェリスト

マーティンとのデュオはいつも楽しいし!

素敵な機会をありがとうございました😊

この笑顔がもう見れない

RIP

イギリスの指揮者Sir Andrew Davisが亡くなった。

 

彼は長い間トロント交響楽団音楽監督を務めておられたが、私が入った時は、桂冠指揮者として、年に2、3回トロントに来られるだけだった。

 

私は彼が大好きだった。本当に本当に彼の音楽作りが大好きだった。

 

音楽監督を務めておられた時の方達に比べたら、私と彼の音楽的な付き合いなど比べものにならないほど浅いのだが、私は彼から本当に本当に多くのものを学んだし、とにかく彼の音楽が好きだった。

 

我々オーケストラ奏者って、舞台の上で指揮者と魂を共鳴し合うものだと私は思っていて、その魂がもちろん誰とでも共鳴するわけではなく、人それぞれ共鳴する相手も違えば共鳴する曲目も違う。私は彼の音楽にいつもいつも共鳴していた。

 

今日本のは住んでいるが、トロント交響楽団には6月まで籍があるので、いつもメール等はまだ受け取っていて、それでも私はほとんどそのメールを開けないのだけれど、昨日は事務局に少し話に行った後、なんとなくトロント交響楽団の理事長からのメールを、ほんとになんとなく開けて、彼が亡くなったことを知り、ショックで倒れそうになってしまった。

 

自分でも自分がここまでショックを受けてることにもショックだったりしたのだけど、トロントを離れて、彼の音楽に触れることがなくなった分、いつも私の中にはあの明るい笑顔と素敵な音楽だけが残っていて、いつかはくるであろう別れというものを全く予想だにしていなかった。多分トロント交響楽団のみんなは、具合が悪そうだというのは気づいていただろうし、みんなも心配していたのだと同僚たちは言っていた。

 

思わず叫んでしまうぐらいショックだった。歩く足取りも足枷をつけたみたいに重く感じたし、すぐに同僚にメッセージを送って、知らなかった、具合が悪かったのか?って聞いたら、今私たちもショックでショックで、悲しみに明け暮れてると。

 

彼は、リハーサルの最中に、ここっていうところは、かなり神経質にリハーサルをして、できなければ厳しい顔で厳しい言葉も飛んでくる。でもその10秒後に、絶対にへへへっていう笑顔で、冗談っぽくそれを取り消したり、とにかくオケに対する気持ちが優しい。

 

素晴らしいオルガン奏者、もしくはチェンバロ奏者でもあり、作曲家でもあり、チェンバロを聞いた時には感動したものだ。

 

決して派手なことはしない、昔の正統派の指揮者だけれど音楽が温かく、美しく、私は彼の来る週をそれはそれはいつも心待ちにしていた。

 

指揮者に対する想いって恋心みたいなもんだなって昨日ふと思った。トロントの同僚の誰かが、その指揮者のことが好きかどうかなんて、その指揮者と寝れる稼働かって考えたらわかるよねと、過激なことを言うなあとその時は思ってたけど、実際そうなのだ。私たちはその人の音楽に恋していて、その人の魂と共鳴していて、それが深ければ深いほど、すごい音楽ができてしまうのだ。私は確かに彼の音楽に恋焦がれていた。だから彼がこの世をさってしまったことが思いの外、自分に打撃を与えてしまった。

 

マーラーの9番で、お客さんも奏者も、曲が終わったのに身動きもできない、指揮者の手がおりても誰も拍手もできないくらいの本番があった。みんな舞台の上で茫然自失、気がつけば涙が頬を伝っていた、そんな演奏会を経験した。一生にこんな演奏会は数えるほどもないだろう。あの時の感動は今でも深く深く私の心に刻まれている。

 

ふと向かい側を見れば、チェロの首席が涙を流していた。私も知らない間に泣いていた。私はリハーサルの時にすでにすごく不思議な体験をして涙が止まらなくなった経緯があったので、演奏後は感動の方が大きかったのだけど、周りを見ると、みんなそっと涙を拭っていた。

 

そこから、私の中でどうしてもどうしても弾いてて苦しくなるマーラーのシンフォニー達が、やっと美しいと思えるようになった。彼の音楽が、マーラーの中の呪縛を解いたと言うか、私はそれを敏感に感じ取ってしまって、リハーサル中に弾きながら号泣すると言う経験をしたのだけれど、彼を通して、と言うか、彼がマーラーに話しかけたのかもしれない。もういいよ。手放して。苦しまなくていいんだよ。と。。。

 

私にとってマーラーは希望を探して探して、最後はどうしても希望を見つけたんだと言うフェイクの希望で書かれたシンフォニーで、辛くて辛くて、どうしても私の触れてほしくない心のどこかに触れるので本当に苦しかった。けれど、彼と9番をやることで、マーラーはやっと、ここで自分の心や、自責の念や、たくさんのことを受け入れて自分を許したんだ、と感じて、私ももう苦しまなくていいと言われた気がして、あの9番はきっと一生かけてもあれ以上の経験はないだろうと思えるくらい私の音楽生命を大きく変えたものだった。

 

何をどう書いても陳腐にしか聞こえないけれど、音楽はその人の人生そのもので、その人の人間そのもので、彼が人生を賭けて作って来た音楽は、ずっと私たちの心に残るだろうし、またそこから彼と言う人間を懐かしく恋焦がれるのだろうと思う。けれど、もう彼の生の音楽に触れることがないのだと思うと、私はしばらく立ち直れないかもしれないと思うほど悲しくて寂しい。

 

私は人より感じやすい方なので、だから若い頃は楽曲分析や曲の背景を知るのが嫌だった。人の作ったものには必ずその時の念というか感情が残っている。私はどうしてもそれを感じてしまって時には苦しくて弾けなくなってしまうこともある。彼の音楽にかなり私は感情移入していたんだなあと。

 

遠い日本から、彼を想い、今日リハーサルでオケのみんながバッハを弾いたと聞いて、私は遠い日本から彼とトロントの仲間を想った。昨日は1人でバッハを彼のために弾いていた。

 

世界中の音楽家達に惜しまれている彼が、どんな音楽家だったのかがよくわかる。

 

私にとって音楽は、こうでなくちゃいけないと思う。人の心をうつもの。上手い下手じゃない。心をうつもの。彼はそれをたくさんの音楽家に教えてくれたのだと思う。

 

オーケストラの魅力も、彼のような指揮者から私はたくさん学んだ。

 

もう書いても書いても想いが溢れて来てどうしようもない。

 

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。天国で少し先に旅立たれた愛する奥様とまた再会して、素敵な音楽を奏でてください。

 

トロント交響楽団の追悼ビデオです。これみてまた号泣しちゃうんだよなああ。

 

youtu.be

 

コバケンワールド

昨日、コバケン先生との我が祖国全曲演奏会

終了いたしました。

寂しいい😭

 

コバケンワールド炸裂の演奏会でした。

まず、チキショウとおっしゃった一言で

本当に晴れてしまった🤣

飯守先生とお二人でイタズラされたんでしょうね。

見事に晴れました!

 

体調があまりすぐれないご様子で

とにかくゲネプロも短縮。

 

楽団長の挨拶から始まり

飯守先生とコバケン先生の出会いのエピソード。

その昔、飯守先生がコバケン先生に

当時飯守先生が指揮しておられたオケで

我が祖国をぜひやってほしいと

お電話されたそうです。

そして、そのリハーサルからコンサートまで

飯守先生は全てお聴きになったそうです。

 

追悼の意を込めて

オーゼの死を最初に演奏したのですが

コバケン先生が袖から出て来られて

指揮台まで行かずに

途中で止まられて

指揮台に向かって黙祷されたんです。

私はその時点で

もう涙がうるうると。。。

 

同世代の指揮者として

お互いにものすごく尊敬されてたことが

本当に伝わってきて

これは取り決めをしていたわけではなく

コバケン先生の

心からの追悼の念でした。

 

我が祖国始まっても

それこそもう言葉は出てきませんが

常に表情と手で

ありがとう、感謝です。

と言い続けておられる。

美しい箇所になると

必ず、そのフレーズが終わったら

胸に手を当てて

ありがとうを示される。

 

そしてコバケン先生は

指揮台に上る前に

指揮台の前で必ず

お祈りされるんですね。

目を閉じて祈りを深めるような感じがあってから

指揮台に上られます。

 

そして我が祖国、暗譜でした。

いくら何十回と演奏してらしても

リハーサルからずっと全部アンプで

全て頭に入っておられました。

 

僕はこの曲を

大体52回ほどやってきましたが

(この微妙な数字がみそ😆

大体50回とかじゃなくて

大体52回🤣🤣🤣)

とおっしゃってました😆

 

そして全て終わってから

本当のコバケンワールドが炸裂!

マイクを持って語り出されまして。

また、このような美しい音楽を

関西フィルの皆さんと演奏できて

幸せです。

わたくし、生まれてきて本当によかった。

と仰いました。

 

そして関フィルほめ殺しが始り

何故か私が立たされる🤣

私実は、弾いてない時に

注目の的になるのが超苦手なんです。

顔が真っ赤になるので

すごく恥ずかしいんです。

そして聴衆の前で私のほめ殺し🤣

先生マジでやめて〜

私穴を100メートルぐらい掘って

隠れたい😅それくらいほんとに苦手です😅

 

コンサートマスターの・・・・・?

き、き、き???

はい〜、キムラですよ、先生🤣

初めてお会いしたんですが

(去年の夏も会ってます〜🤣

そしてその前も何度か〜🤣)

 

ゲネ中は何故か途中から

えっちゃんって呼ばれてましたが🤣

 

そして今度は金管楽器ほめ殺し🤣

アンコールをここからやりますってところを

金管楽器に吹かせて

素晴らしいでしょう!とほめ殺し

コンサート終わる前に

全員ほめ殺しされて誰もいなくなるんじゃないか🤣

 

アンコール終わって、先生に拍手を送りたいのに

先生が、お辞儀して手を振りましょう

と、おっしゃって、

舞台上であっちこっちくるくる回りながら

お客さんに手を振る私達🤣🤣🤣

 

舞台上でも

時間があったらきっと一人一人

全員と握手されると思います🤣

 

終演後先生にお礼を申し上げに

楽屋に行ったならば

お友達に囲まれて

お幸せそうなご様子。

 

明日(今日)も本番なんですか?

とお聞きしたら

そうなんですよ。

横浜で本番なので

まあ適当に出発したら

リハーサルに間に合いますので🤣

 

そして最後に

 

じゅんこさん、本当にありがとうね

 

🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣


いつの間にかじゅんこになってた私です🤣

そりゃあれだけの大曲暗譜で振ったら

人の名前なんてどっか行っちゃうでしょう🤣

 

名前なんかどうでもいいです!

どうかどうかいつまでもお元気で

また夏にお会いできるのを

楽しみにしています!!

 

そして飯守先生。。。

もっともっと先生の指揮で

勉強したかったです。

私を一目(ひと音楽)惚れさせてしまった

飯守先生。

どうぞ天国でも

たくさん指揮をしてくださいね!

時々、天国からイタズラして

私達を笑わせて下さい。

 

幸せな4日間でした!