ヴァイオリニストアニキのつぶやき

大阪のヴァイオリン弾き木村の日常と出来事を綴っております

私の宗教感②

 

 

勝因寺本堂(父母の永大供養されてるお寺)

私の宗教への考え方は少し違っていて

ブレない自分を作るため。

私には時々この前から書いてるけど

怒りに纏わりつかれてどうしようもない時があります。

それが業なんですよ、私の。

前世からの、背負って生まれた何か。

そう言う時に、スッと自分中心に戻っていける手段

私には色々あるんです。

ヨガもそうだし、ハワイのホオポノポノもそうです。

真如苑もその一環でしかない。

 

"なんで?どうして?と問う必要はない"

オポノポノも私の友人も真如苑のもっと偉いさんもいいます。

ただそれを受け入れて、手放していくだけ。

だってわかるわけないんですよ。

昔からの記憶とか業なんて自分の知らないことだもの。

でも持って生まれてくるんですよ、人間は。

だからそれを手放して本来の光を放つ自分に戻る。

綺麗な器には綺麗なものを入れる。

 

 

真如苑には接心というのがあるんですが

要は修行を積んだ方々がイタコさんのようになり

上から降りてくる言葉を伝える

 

これをネットで読むと

霊言という怪しい言葉を使い

その霊言さえ信じて行動すれば

幸せになれると言って勧誘する

になるのですが😅

ちょっと笑っちゃった🤣

それで幸せになれたらまじいいですよね🤣

 

結局何でも人から頂いた言葉を自分でどう消化するかってことですよ。

私は割とその時々困ってることをドンピシャと言い当てられて

ああ、そうそう、反省しなくちゃと思うことがあります。

私は割と感じやすいので(見える人ではないです🤣)

この人マニュアルみたいに言ってるだけだなと感じる時もあれば

この人見えてるなと感じる時も両方あります。

 

でもイタコさんだって、みんな本当に能力は持ってるけれど

毎回毎回下ろせるわけじゃない。

でもみんな亡くなった人と話したくてやってくる。

当たり障りのないことを言ってその場を逃れることは

絶対あるでしょう。

でもそれで会いに来た人の考え方が変わって

自分の魂を磨こうという気持ちになれたらそれでいいんじゃないでしょうかね。

 

我々音楽家だっていつも100%上手く弾けるなんてことないし

それでも今日は調子悪いから弾きませんっていえませんよね。

どんな偉い霊能者でも上手く行かなかったりできない日もあるでしょう。

同じようにあの人たちにはできませんと断ることはできないんですよね。

だから、きっとこう言えばこの人は考えてくれるだろう

という言葉を選んで伝える。

 

私はどこか冷めてるので、これからも

どっぷり宗教に浸かることも多分ないし

(この冷めてる部分がなかったら、私統一教会

合同結婚式出てました🤣その話はまた別の機会に🤣)

自分の心地よいスタンスで自分の魂を磨くために

色々な宗教を勉強したり読んだり知ったりすると思うし

実践もすると思います。

 

 

宗教も人間がすることです。

お寺もお金がなきゃやっていけません。

檀家さんになるとやっぱり寄付もしなくちゃいけないし

でもそれはたくさんできる人はすれば良いし

10円しかできなければそれで良くて

それがだめっていう宗教団体ならちょっと私も考えちゃうかな。

 

私の親族は精神疾患やお金の問題が多々あって

昔から絶対なんか因縁とかあるよなって思っていたから

私は割とすんなりなんでも受け入れることができるし

そういう目に見えないものも信じることができます。

怪しいと思う人は思えば良いと思うし

私は死ぬ時に一つでも荷物を軽くして死にたい。

 

それは結局徳を積むということなんです。

 

この3日ほど怒りに取り巻かれて非常に苦しくて

そしたら今朝夢を見たんです。

自分がやっぱり自分のパワーを使って横暴になって

私を慕っていてくれていた人がどんどん離れてゆく夢

あとでどんなにおべんちゃらを使って宥めても

一度失った信頼を取り戻すのは大変という夢

 

もちろん潜在意識が見せる夢です。

でも、それを私は警告だと捉えました。

人の振り見て我がフリ直せと言われている

誰かが私に警告してくれている

 

そういうふうに自分を見直して

自分を精進させるように考えられる手段として

宗教はあるのであって

あくまでも、個人の捉え方なんだよなと私は本当に思います。

 

宗教を信仰してる人が皆いい人っていう事なんか絶対ないです。

生臭坊主っていう言葉があるように

修行を積んだお坊さんだって人間なんですよ。

 

けどね、生臭坊主と言われる人でも

仕事🤣してる時のオーラってすごいんですよね。

うちの父のお葬式は真言宗でやったんですけど

父の昔からの知り合いで大僧正の修行まで積んでる人ですが

お酒もよく飲めば音楽が大好きだから

どっちが本業よって思うような人ですが

お葬式の時、亡くなった人に引導を渡さなくてはいけない

というところでものすごくこだわっておられて

それに時間がかかる時もあるんです

なのでそこの時間を短縮することは絶対にできないと

 

ああこの人すごいなってその時思いました。

本当に見えてるんだと思いました。